小学生の息子がテレビのニュースを見ながら呟くように言ったのです。
「こんな時代に生まれて運が悪い、戦争があるから」と。
その言葉は私の心に深く突き刺さりました。
彼の気持ちに気付いてあげられなかった事、社会に対して自分が何もしてきてこれなかった事、
親としてというより、一人の人間として
情けない、申し訳ない、という気持ちになりました。
息子の小学校生活はコロナ禍に始まりました。大事な入学式も休ませました。
未だ終わりの見えないコロナ禍、
さらには戦争の恐怖も身近に感じるようになってきています。
私は彼の言葉から「世の中に対する諦め」を感じました。
パンデミックと戦争のニュースがあたりまえのように流れてくる生活。
これを“運が悪い”という言葉で済ませて良いのでしょうか。
未来を担う子ども達に、こんな不憫な思いをさせてはいけません。
全て政治の責任、大人の責任です。
「世の中って所詮こんなものなんだ」なんて思わせたくない。
絶対に諦めさせてはいけない。
そう思いました。
私が社会に出た時はバブル崩壊後の就職氷河期でした。
ロストジェネレーションと呼ばれた時代のど真ん中、20代の頃は日雇い労働をしながら、
世の中に全く希望が持てず、未来に対する不安を抱えた日々を過ごしました。
それでも私が過ごした時代の方が、今よりマシだったかもしれません。
“同じような思いを子ども達にさせてはいけない
子ども達が、社会に出る頃には希望が持てる社会にしたい“
私の息子が成人するまであと10年。
もう時間がないのです。
行動を起こすには今しかない、そう思い立ちました。
最近の政治のニュースを見ていると、
重要なことを一部の人達だけで決めてしまったり、力でねじ伏せてしまったり。
非常に残念なニュースを頻繁に見聞きするようになりました。
「対話」の機会を断ち切ってしまうことは、大きな問題を生じ、
最悪の場合、戦争にまで進展してしまう。
とても危ういことだと思います。
これは決して他人事ではありません。
平塚海岸の龍城ヶ丘プール跡地整備計画。
残念ながら平塚市は市民に対して、対話することをやめてしまったかのように見えます。
私が初めて平塚海岸を訪れたのは、小学校を卒業した春でした。
美しく自然豊かな海岸の光景が今でも脳裏に焼き付いています。
しかし今、この自然豊かな樹林帯が伐採されようとしています。
この樹林帯は私たちの命を津波から守ってくれる緑の”防波堤”でもあります。
工事着工予定は2024年4月。
開発計画を見直すチャンスは今しかないのです。
もう一度、「対話」から始めるべきではないでしょうか。
昨年秋に自治会主催で開催された開発計画の住民説明会。
そこで自治会長達の熱い思いを聞いて奮い立ちました。
私の親世代である先輩方が必死に住民の安全・安心を守ろうとしている。
そんな自治会長たちの背中を見て、
“今度は自分も立ち上がらなければいけない。”
そう思いました。
人を差別したり、排除したりせず、
どんな人の意見も汲み取りながら対話ができる
“市民のためのやさしい政治”を行えば、
平塚の自然を生かしながら、より豊かなまちに変わると信じています。
なぜなら、平塚にはとても素敵な人達がたくさんいるからです。
50年経っても、100年経っても、きっと豊かなまちであり続けると思います。
平塚をそして日本を、皆さんと一緒に、より良い社会に変えていきましょう。
「そんなに心配するな。諦めなくて良いんだよ。父ちゃんがなんとかするから」
今の私なら、息子にそう答えると思います。